HISTORY

佐政水産の創業から現在までの歴史

佐政水産という名前は、初代・佐藤政吉から名付けました。創業は1913年。日清日露戦争と第一次世界大戦の狭間に誕生した弊社は、2013年で100周年を迎えています。国税庁によると、会社が30年以上つづく確率は0.025%。10000社のうち2~3社ですから、100年つづくというのはちょっとしたことかもしれません。私たち佐政水産は、沼津と水産業のために生まれた会社。これまで取り組んできたことの一部をご紹介いたします。

佐藤 政吉

沼津の水産業と、
佐政水産100年の幕開け。

初代 代表取締役社長 佐藤 政吉

政吉が生まれたのは1893年のこと。沼津・黒平商店の五男として誕生しました。幼いころは実家の商店の名を借りて、魚の小売や行商をして日銭を稼ぐ日々が続きます。その後一念発起して、20歳で独立。自身の店を構えることとなりました。当時、手元にあったのは、2人で食事するのがやっとの小さな丸い食卓と布団だけ。決して裕福ではなく、倒産寸前まで追い込まれたこともありました。それでも持ちこたえたのは、応援してくれる仲間がいたことと、それに応えたいという想い。そして、駿河湾という魚の宝庫に恵まれたことでした。1921年、問屋制から競り売りに変わると、翌年には魚商仲買権を取得。会社を拡大していく大いなる一歩を踏み出しました。転機となったのが、創業から数年ほど経ったころ。伊豆で活きのいいブリが揚がったと聞いて、勝負に出ます。思い切って伊豆半島中のブリを買い占めたところ、想像以上の大当たり。全国各地で飛ぶように売れ、経営を軌道に乗せることができました。1933年には勝亦干城氏(沼津魚市場初代社長)と協力して株式会社沼津魚市場を設立。現在の魚市場を兼ねた沼津港が作られました。

太平洋戦争がはじまると、港は軍用港として魚市場の機能を一時中断。その間、食料統制を進める政府のもと、沼津鮮魚介統制組合の理事長として奔走しました。終戦後は、戦時中に企業整理で解散した沼津魚市場を再生し、さらに1950年には沼津魚仲買商協同組合を設立して自らが初代理事長に就任。同年、『佐政水産株式会社』を設立し、水産業の復興に汗を流しました。

佐藤 実郎

日本一の
干物の町が生まれた。

2代目 代表取締役社長 佐藤 実郎

今でこそ、「干物といえば沼津」と言われるほど生産量の多い町ですが、当時は半分農業、半分魚屋。干物をつくっていたのは、ムロアジが揚がる季節だけでした。しかし、沼津の地形は干物づくりに最適で、「朝食には干物」という時代。何より、日本一の商圏・東京が間近ですから、地の利も大きい。この好条件をいかして、アジの「ひらき」という加工品に活路を見出したのが、佐藤実郎(2代目)でした。 それに伴い、下関や九州で水揚げされるアジを沼津に貨車で運ぶ事業を開始。今では全国的に当たり前となった、鮮魚を輸送するための木箱も、実は佐政水産が当時開発したアイディアでした。木箱を重ねて、一番上に氷をのせることで、底の隙間から冷気が下に抜けて、全体が冷えていく。いわば簡易な冷蔵庫をつくりだすための工夫です。これが突破口となって、下関から仕入れるルートを確立。多くの農家が干物で生計を立てられるようになり、最盛期には沼津の加工業者が300社にも及びました。全国の生産量の7~8割を占める、日本一の名産地に成長する原動力となりました。ちなみに、このころの佐政水産は、社屋の隣に社員が一緒に住んでおり、社員のご飯をつくるために、女中さんも数人いました。会社というより、大家族といった方が正しいかもしれません。そのようなアットホームで、社員を大切に想う実郎のDNAは、変わることなく現在の佐政水産にも受け継がれています。

佐藤 隆是

次の世代のために、
できることは何だろう。

3代目 代表取締役社長 佐藤 隆是

このままの古い体質では、いずれ沼津港は廃れてしまう。そんな危機感を逸早く察した3代目の隆是は、自社の水産業だけでなく、常識に捉われない発想で沼津港の大きな発展に貢献してきました。座右の銘は「今日の常識は明日の非常識」。その言葉を体現するかのように、次々と港にある施設の開発に着手していきました。まず建設したのが、協同組合沼津水産開発センター。年間300トン以上も発生してしまう不可食魚や、水揚げ時に破損して商品価値を失っていた魚、そして干物加工時に発生してしまう腸やアラを、ペットフードや肥料として加工処理できないか。そう考えた隆是は、自ら協同組合をつくって資金を募りました。そして約1322㎡の敷地に自分たちで魚腸処理施設を建設。それを皮切りとして、1993年には処理能力日量4トンの焼却炉、1996年には水産加工用原料を目的とした巨大無人冷蔵庫「ビッグボックス」なども完成させています。「世の中に必要なものは必ずできる」という信念を胸に、沼津の発展に欠かせないインフラを整えてきたのです。その他にも、2000年には直営の沼津干物アンテナショップ「あじや」や、飲食店や小売店がテナントとして入る「旬彩街」を開業しています。また、本業の水産業では、佐政水産に冷凍課を新設。さらにアイルランドやオランダといった海外からの原料輸入をはじめるなど、現在の佐政水産の礎を築いてきました。そして4代目へと、佐政水産の発展と革新はつづきます。